春休みに入っていましたが、専門学校へ登校していて地震を経験しました。
あの時は埼玉県に居たのですが、揺れが凄かったです。
ビルなどの高層建築はグニャングニャンと揺れていて驚きましたね。
首都圏近郊の電車は軒並み不通。
自宅へ帰るのも困難となり学校で一夜を過ごしました。
そして、映し出される福島の津波の様子。
ジワジワと押し流されていく様を見ながら、「これは大変なことになった。」と思いました。
「大きな地震があった。」だけでは済まされないと思い知らされたとでも言えばいいんでしょうかね。
街がなくなり、人が少なくなり、昔の面影がなくなると10年と言えども思い出すのにも難しくなるように感じます。
目に見える物が無くなってしまうと伝えていくのは難しくなるのではないのでしょぅか、イタリアのポンペイの様に。
悲しい記憶だったとしても形として残るものは残さないとイケないのかも知れません。